2008年05月13日

コナミ時代の元上司の訃報

久しぶりに更新します。

前職を辞してから、度を超した嫌がらせを受けていました。
会社資金持ち逃げのデマ。他社データを不当によこせという要求。
自宅玄関前に夥しいゴミや尿をまき散らかす。挙げ句に自宅外インターネットの引き入れ線切断。

おかげで長らくネットに接続することが出来ませなんだ。

それもしばらく前には復旧してもらったのだが、生活苦にあえいで妻の実家に避難していた。不慣れな中国農村暮らし。生活習慣や価値観の違いに、これまた疲れ果てて大連に戻ってきた。

そんな過酷な体験は機会があれば語ることにして、今日は別のニュース。

今日知り合った人と会話していて、たまたまおじさんの職歴を話す機会があった。mixiでビワおじさんをしている方であれば、おじさんが最初に勤めていた会社が、ゲームソフトを作っている企業であることをご存知の方もおられるでしょう。

そこでおじさんの上司であった方が亡くなられたらしい、という情報を教えてもらった。
その人もニュースのヘッドラインで見かけただけで詳しくは知らなかったが、「パワプロの開発者の方が亡くなられたというニュースがありますよ」とのこと。

パワプロ――実況パワフルプロ野球。野球ゲームのファンであれば、プレイしたことのある方も多いのではなかろうか。
おじさんは、このタイトルの開発には参加していない。が、同じ部署にパワプロの開発チームがあり、そのチームリーダの方には色々と親身になって頂いたので、とても親近感のあるタイトルだ。

今日会った人からニュースの件を聞かされたとき、はっとなった。
「ニュースになるくらいだから、会社内である程度上層部に位置している人でないと、記事にしてもらえない」「すると、チームリーダをしていたあの先輩か?」
懐かしさと共に、悲しさが湧き上がりそうになり、会話は適当なところで打ち切ってきた。

自宅に戻って、久しぶりに繋がったネットでニュースを検索。
該当する記事は簡単に見つかった。

比較的内容が多いと思われるasahi.comより引用する。
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「パワプロ」生みの親、長江勝也さん死去
2008年05月09日00時47分

 長江 勝也さん(ながえ・かつや=大阪電気通信大教授)が5日、脳出血で死去、47歳。通夜は10日午後7時、葬儀は11日午前11時から大阪市北区長柄西1の7の13の同市立北斎場で。喪主は父義人(よしひと)さん。自宅は同市港区池島3の5の3の1406。追悼式は、6月2日午前11時から大阪府四條畷市清滝1130の70の大阪電気通信大四條畷キャンパスコナミホールで営まれる。

 83年、コナミ工業(現コナミ)に入社。実在の野球選手の動きや能力を再現した人気ゲーム「パワフルプロ野球」シリーズの開発に携わった。関連会社の副社長から03年4月、大阪電気通信大に新設されたデジタルゲーム学科の教授に就任。4月27日、中国江蘇省にある同大提携校での授業後に倒れ、治療を続けていた。

引用元
http://www.asahi.com/obituaries/update/0509/OSK200805080103.html
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この記事を読んで、想像していたよりもっと複雑な気分になってしまった。

亡くなられたのは、おじさんが想像していたリーダの方ではなかった。この記事の長江さんとは、おじさんがコナミに勤めていたときの上司で、おじさんの部長でもあった方だ。

今でもそうだが、おじさんは年上の人から見れば我の強い我が儘な性格で、かわいげがない。コナミでプランナー職をしていた時には、自分の名が売れる日を夢見て、自分がリーダーを務めるチームを持って、名実共に自分が作ったと「威張れる」ゲームを作りたくてウズウズしていた。要は、制御が難しい若造というところだろう。

そんな若造だったおじさんの非難の対象が、長江部長だった。
長江さんは、おじさんが新入社員として入社したときは課長相当職であり、その後はとんとんと出世して、次長→部長となられたと記憶している。
そんなにエラくなかった頃から親しく話をしている位置にいたので、彼が部長になっても、おじさんはあまり気兼ねせず振る舞っていられたと思う。

コナミ内では不満分子と化していたおじさんであったので、何かあれば同僚や先輩後輩の前で、長江部長批判をしていたようにも思う。部長の陰口ばかり言っているおじさんであったが、何かの折には他の社員にもするようなヨタ話をおじさんにしては、「ハハハー」と笑っている顔が思い出される。

おじさんがコナミを辞した頃かその後、長江さんがコナミ大阪開発部門の副社長になったという話を聞いたこともある。
長江さん死去を伝えるニュースでは、「パワプロ生みの親」ということで開発リーダーなどを想定した書き込みをネットの掲示板で見かけたが、彼は当時は、もうちょっと上の立場だったはずだ。
当時は自分がのし上がることだけを考えていたおじさんだったので、上司の職掌を詳細までは知らないが、当時の長江さんはプロデュース的立場で接しておられたのではないか。

個人的に記憶に残っている逸話は、「MSXゲームのプログラムを手がけていて、一晩で百数十個のバグを全て修正した」というものだ。
これは別の先輩から聞かされた長江さんの逸話で、ご本人に対して「すごいっすねー」と感想を漏らしたところ、「あれな、バグとしては百数十個という数えられ方をしているけど、プログラム全体でみたらいくつかの根本的な部分に関連しているねん。先に全体的なとこを作ってから、問題の箇所を修正したら勝手に直った」と、なんともあけすけな答えが返ってきたので、肩すかしをくらった覚えがある。

おじさんがタダの若造だった頃に部長になった方なので、年齢もずっと上なのだろうと勝手に思っていたが、上記に引用したニュース記事を読んで驚いた。

享年47才。おじさんとは7才しか違わない。

もちろん、一企業内において7年の差は大きい。ご本人も落ち着いた雰囲気を持っておられたし、部下から見てトントン拍子に出世していくには、上層部から評価されるものを持っておられたのだろう。

謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

追伸:
けど部長、47才で逝くって若過ぎやしませんか?
知らん間に大学の教授になっているし、それにいつの間に中国に来ていたんですか。
ときメモの移植版をアップした直後に、旨い飯を食わせてくれたのを思い出しますよ。そのちょっと前、「これでチーム員全員で美味いもん食え」って言ってくれた一万円、うちのリーダーが吉野家の牛丼しか買って来なかったのを怒っていましたね。怒っていたけど、部長はリーダーのことを笑って諭していましたっけ。

今だから言う贅沢だけど、部長、あなたの前で無茶ばかり言って、あなたから「ああ〜、アホか〜」ってもう一回言われたいですよ。

posted by ビワおじさん at 01:05| 大連 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして☆
素敵なサイトですね^^応援してますよ♪
Posted by スタービーチ at 2010年05月08日 10:31
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